きかんしゃトーマス号やSLが走る「大井川鐵道」!100周年に向けた新たな挑戦と未来への想い

きかんしゃトーマス号やSLが走る「大井川鐵道」!100周年に向けた新たな挑戦と未来への想い

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1925年の創立から、2025年3月10日で100周年を迎える大井川鐵道(てつどう)。何より特筆すべきは、SL列車や電気機関車など、昭和の雰囲気を色濃く残した珍しい列車が現役で活躍していること。地域の人はもちろん、全国の鉄道ファンから愛され続ける大井川鐵道が100周年に掛ける想いを、鈴木社長をはじめとする大井川鐵道の皆さんと、沿線で支える地域の方々に伺いました。

目次

1.100周年に向けた新たな挑戦

2.マニュアルのない職人技でSLを未来へ

3.“日本の原風景”を多くの人に届けるために

4.ローカル線を残す使命、地域をつなぐ役割を果たすために

5.“大井川鐵道のある日常”を願って

100周年に向けた新たな挑戦

静岡県を北から南へ縦断するように流れる大井川。その流域を走行する大井川鐵道は、1976年に全国に先駆けてSLの復活運転に取り組み、2014年には世界的に大人気を誇る「きかんしゃトーマス号」の運行をアジアで初めて開始するなど、新たなチャレンジを次々と成し遂げてきました。

大井川鐵道100周年記念ロゴ

2025年3月10日に100周年を迎えるにあたり、“乗ってみて!大鉄。”をスローガンとして掲げる同社。「創立100周年チャレンジプロジェクト」として、地域を盛り上げ、全国の鉄道ファンに足を運んでもらうためのさまざまなイベントを企画しています。その目玉となるのが、蒸気機関車「C56-135」の動態化。列車としての役目を終え、兵庫県加東市にある播磨中央公園で保存されていたものを、大井川鐵道が譲り受けました。同社がこれまでの挑戦で培ってきたSL動態保存技術を駆使して、「C56-135」に再び命を吹き込むプロジェクトが進行しています。

「SLは製造から90年、100年と長い年月が経過しているものも珍しくなく、より細やかなメンテナンスが必要で、整備に1年半~2年はかかります。当社では稼働できるSLを4台所持していますが、整備点検に入っているものもあり、実際に走行しているのは2台。もっと多くのお客様にSLを楽しんでいただけるよう、SLの安定的な走行を目指して、今回C56-135の動態化にチャレンジする運びとなりました」と、鈴木肇(すずき はじめ)社長。動態化を含む100周年プロジェクトの資金を募るため、2022年9月に開始したクラウドファンディングでは、全国から寄せられた熱い想いに胸を打たれたといいます。

「最終的に8,400万円以上もの寄付を頂いて……全国的に、鉄道会社のクラウドファンディングの成功例は3,000万円くらいだと聞いていたので驚きました。でも金額もさることながら、皆さんが寄せて下さったコメント、これが本当にうれしいんですよ!“応援してくださる方がこんなにたくさんいるんだな”と改めて感じましたし、私はもちろん職員もみんな励みになっています」。

大井川鐵道が100周年に向けて動き始めて間もない2022年9月23日深夜から24日未明にかけて、静岡県を台風15号が襲い、土砂崩れなどで大井川鐵道は全線運休を余儀なくされました。その後井川線は全線復旧しましたが、大井川本線は家山駅から千頭駅までは運転再開の目途が立っていない状態です。クラウドファンディングのWEBサイトには、100周年プロジェクトはもちろん、全線復旧を応援する4,200件を超えるコメントが寄せられました。中には大井川鐵道との思い出を記した内容も。全国各地の人々が大井川鐵道のSLに魅せられ、多くの人の記憶に残り続けているというのが伝わってきます。

■応援コメント一部紹介(原文ママ)
・子供の頃、大鐵さんには何度も旅行に行ってとても良い思い出になりました。SL技術の継承は将来の子供たちにも素敵な思い出を作ると思います。微力ながら応援しつつ、復活の報せを楽しみにしております!

・現役時代を知らない世代なので、SLにはぜひ乗ってみたいです。

・私が幼少期の頃、父に連れられて乗った大井川のSL急行。私が初めて「生きたSL」と出会ったのもその時で、感動したのを覚えています。そして先日私も父親として子供を連れて乗車しました。将来自分の子供が親となった時、子供を連れて大井川のSL列車に乗って欲しい。そんな思いを込めて微力ながら支援させて頂きました。頑張って下さい!応援しています!!

・小学生の頃、家族でSL急行に乗ったことを懐かしく思い出しました。私自身も大きくなり様々な場所へ旅をするようになりましたが、そんな生き方をするようになった原点は、川根路にあったように思います。僅かに煤の混じる心地の良い風を、またSL列車のニス塗りの車内で受けることができるよう、永く永く応援しております。

マニュアルのない職人技でSLを未来へ

100周年プロジェクトの目玉となる「C56-135」の動態化に向け、まずはボイラーの調査を開始。調査結果に沿って、実際に修理が行われる予定です。これまでもSLの動態化に取り組んできた大井川鐵道ですが、その作業は一筋縄ではいかないもの。同社に集まってくるSLは、何十年も前に全国各地で走行していた年代物ぞろい。かつて走行していた地域の気候や地形によって車両のカスタマイズが異なるため、たとえ同じ型であっても、整備方法は車両によって異なるそう。

「整備方法にマニュアルや教科書はないので、内容は全て先輩方からの口伝えと実践で学んでいきます。先輩の動きを見ながら自分で考えて、試して、の繰り返しですね。大変ですが、SLに関われる仕事はとても楽しいです」。こう語るのは、同社でSL班の整備士として活躍する大杉隼也(おおすぎ しゅんや)さん。SLが大好きな祖父の影響で、幼いころから大井川鐵道の迫力あるSLの姿に魅了され、工業高校を卒業後に同社に入社。夢だったSL班に配属され、3年目を迎えた21歳の大杉さんに、大井川鐵道のSLの魅力を伺いました。

「いい意味で時代が止まっているところですね。大井川鐵道では、お客様の乗る車両の内装も含めて、昭和の雰囲気を残した当時の車両がそのままの姿で走っているところが魅力だと思います」。

現在は4人のメンバーで車両整備を行うSL班。SL1両につき100以上もの点検項目があり、走行前に毎朝行う点検は、1~2時間かけて丁寧に行われます。「たとえ時間がかかっても、“安全第一”です。自分が点検した車両は“私が担当しました”と自信を持って送り出せるように、日々仕事に取り組んでいます」。

これまでもSL列車の動態化に積極的に取り組んできた大井川鐵道ですが、100周年プロジェクトの「C56-135」動態化もかなり難易度の高いチャレンジになるはず。「SLは動いてこそ、本当の魅力に気づいてもらえると思います」と語る大杉さんは、今回の動態化にも熱い情熱を傾けています。
「(難易度の高いチャレンジは)楽しみでしかないです。大井川鐵道は20年前にもSLの動態復元をしたんですが、その当時若手の整備士として復元に携わったのが、今の私の先輩なんです。その先輩から今回は私が復元の技術を教わるんですよね。だからこの次は、私が後輩にその技術を伝えられるよう、バトンを受け継いでいきたいです!」。

“日本の原風景”を多くの人に届けるために

SLや鉄道に魅せられた社員の皆さんが多数いる大井川鐵道。経営企画室で広報を担当する加冷英鵬(かれい ひでゆき)さんも、その一人です。

日本に生まれ、幼少期から高校卒業までシンガポールで過ごした加冷さん。幼いころ、夏休み期間中に一時帰国し、大井川鐵道に乗車した時のことを鮮明に覚えていると言います。「大井川鐵道・井川線のトロッコ列車から眺めた景色に、“これが日本の原風景なんだな”と直感しました。鉄道が好きで、これまで全国39の都道府県を鉄道で廻って、さまざまな場所を見てきましたが、自分の知らない昭和の景色が残っているのは軽便鉄道の雰囲気を残す井川線やSLならではですし、大井川鐵道はずっと長い間印象に残っていましたね」。

井川線 関の沢橋梁

その後、大学進学で帰国。プライベートで10回以上も東京から島田市を訪ねて大井川鐵道に乗車するなど、その魅力の虜(とりこ)になっていたと言います。学生時代には鉄道研究会に所属し、学園祭でのグッズ製作などで大井川鐵道と関わることもあり、「なかなかここまで色々な取り組みをさせてもらえる会社はない」と、その社風にもひかれたそう。
「歴史ある鉄道会社ではありますが、ベンチャー気質といいますか、いろいろなことに挑戦できる会社だと感じました」と加冷さん。大学卒業後は迷わず大井川鐵道に入社し、同社が指定管理者として2019年より運営を開始した「川根温泉ホテル」での勤務を経て、2022年4月に大井川鐵道での勤務がスタートしました。

同社の広報担当として奮闘する加冷さん。今後も2025年の100周年プロジェクトに向けて、地元の方や全国の鉄道ファンが楽しめるイベントを広く宣伝していくほか、「C56-135」の動態化の進捗も、公式HPやSNSで発信できればと意気込みます。
「一度は役目を終えた列車に再び命を吹き込むのは、大変ロマンがあることです。全国で活躍した列車が豊かな第二、第三の人生を送れるよう、社員一同動態化に励んでいきます。この取り組みをもっと多くの鉄道ファンの皆さん、旅行者の皆さんに知っていただけるように、より一層情報発信に取り組むことで、大井川鐵道や島田市の魅力を感じていただきたい。SLのかすかな煙のにおい、車両の心地よい揺れ、お茶工場からのお茶の香りを五感、六感で全て楽しんでいただきたいです」。

100周年プロジェクトに向けたクラウドファンディングは、オンラインでの取り組みだったこともあり、特に20~30代の支援が目立ちました。
「SLが現役で走っていた日常だったことを知らない世代が、未知なるもの、自分の知らない世界に出資してくれるのは、それだけで大きな意味を持つと思います。“自分の知らない時代の鉄道文化に触れてみたい”という方が多いのだと実感しました」。
ほかにも、オンラインでの操作が難しくてもあきらめず、「どうしても支援したい」と駅や本社まで直接寄付を届ける人の姿も。その行動力に、加冷さんも勇気づけられたと言います。
「過疎化やコロナ禍など、こういった厳しい環境でビジネスとして鉄道事業を営んでいるのは、他に例を見ないことだと思います。美しい情景を走る鉄道や、地域の人の足として機能している路線が全国にはたくさんあります。それらを廃線にしないためにも、大井川鐵道が100周年、150周年と続く会社を目指して、日本の地域交通のロールモデルになれればと思って、広報活動に力を注いでいます」。

ローカル線を残す使命、地域をつなぐ役割を果たすために

大井川鐵道が100周年という節目を迎えるにあたって、鈴木社長は同社の未来をどのように見据えているのでしょうか。
「全国のローカル鉄道が“いかにして鉄道を存続させるか”という問題に直面しています。当社でも、コロナ禍や2022年9月に地域を襲った台風15号の災害などの影響もあり、想像より大変な状況になってきたと実感しています。そんな中、SLの復活に取り組んだり、SL修理のための工場を作ったりと、当社は他の鉄道会社さんからは特異な存在として認識されていると思います(笑)。でも、やはりいろいろなアイデアを出して取り組まないと、鉄道という大きくて重たい事業を一つの民間企業が継続させるのは難しいと思うんです。当社は、いろんな企画を立案・実行できる環境が整っていて、それは私の入社当時から変わっていないと思います」。
1986年に大井川鐵道に新卒で入社し、以来36年以上にわたって同社に携わってきた鈴木社長。100周年プロジェクトでは、「C56-135」の動態化でSLの安定的な運行を目指すほか、会社としては「地域の活性化、地域連携」にも力を入れたいと考えているそう。

「大井川鐵道は地元に根差した企業として、地域を結ぶ役目も担っていると感じます。地元・島田市がある静岡県中部をはじめ、県西部も巻き込んで、日本国内から島田市に人を集めるいわば“国内インバウンド”のような取り組みに着手しています」。大井川鐵道のグループ会社「大鉄アドバンス」では、バス会社やタクシー会社としての機能で地域をつなぐほか、かつては外注していた旅行代理店としての機能も内製化することで、全国から観光客を積極的に誘致。その影響力はより広域化し、地域の活性化に確実につながっています。

“大井川鐵道のある日常”を願って

100周年を迎えるにあたり、全国はもちろん、地元の人々からも愛され続けている大井川鐵道。最後に、長きにわたって沿線活性化に取り組む地元の方に、お話を伺いました。

大井川鐵道「合格駅」。ご利益のある駅名で合格祈願スポットとして人気を集め、島田市はもちろん、関東や関西からも多くの人が訪れています。もともとは「五和(ごか)駅」として、1927年に開業した歴史ある駅舎。「合格駅」に改称したのは2020年のことで、周辺に住む地元の方々が結成した「チームおもしろ五和駅」の取り組みがきっかけでした。

大井川鐵道を利用する人々の様子(1949年撮影)

チームの代表を務める渡邉琢史(わたなべ たくし)さんは、「私が高校生だった時、通学で3年間大井川鐵道のお世話になっていました。当時は私のような学生や通勤途中のサラリーマンで車内は溢れかえっていて、立って乗車する日が多かったくらいです。その五和駅が、草は生え放題、駅舎も古くなってしまっていて……自分はまだまだ地域に貢献できていないと感じて、長年勤めた企業を退職後、五和駅の再整備に取り掛かりました」と話します。

駅舎の外装、内装を掃除し、壁材を塗り直すなどの取り組みを通して、「チームおもしろ五和駅」のメンバーで五和駅の再生をスタート。そんなある日、五和駅に掛けた“合格駅”という駅名を、突然思いついたという渡邉さん。観光客や受験生を出迎えるため、駅に隣接する田んぼにかかしを設置したり、駅舎を飾り付けたり、「合格地蔵尊」を安置するなど、アイデアの光るおもてなしを仲間とともに8年以上にわたって続けています。
「自分も仲間も心から面白いと思えるものでないと、人に楽しんでもらうことはできませんね」。

今年77歳を迎える渡邉さん。大病を患ったこともありましたが、回復してからはご自身の体調とも相談しながら、この数カ月はほとんど毎日駅舎に足を運んでいます。
「ここへ来て皆さんと話をすると、私もエネルギーがもらえるんです。台風15号の影響で大井川鐵道が走らない期間があり、とても寂しく感じましたが、人の流れを途絶えさせないためにも、改めてこの地域に“なくてはならない存在”だと感じましたね。100周年に向けては、私が高校生の時に感じていたような賑わいが、この合格駅にまた帰ってきてくれたらと思いながら、普段と変わらずチームおもしろ五和駅で盛り上げていきたいです」。

抜里駅で「サヨばあちゃんの休憩所」を25年以上続けている諸田サヨさんも、大井川鐵道を支える地域の方の一人。ご自身が中学生の頃はどの家庭も子どもが多く、家計節約のために通学定期は購入せず、学校まで片道2時間の距離を友人と毎日歩いていたそう。
「冬の特別寒い時期や、家計に余裕がある時期は、みんなで示し合わせて大井川鐵道の定期を購入したんです。通算で年に2〜3カ月の間だけ電車に乗れて。私にとって、当時の大井川鐵道に乗ることは、特別で贅沢な体験だったんです」。

その後定年まで企業に勤めたのち、“せっかく元気なのに、このまま仕事を辞めてしまうのが勿体無い”と感じるようになったそう。
「若い人がみんな他の地域へ出て、村は過疎化が進んでしまう。このままではお年寄りだけになって、どんどん村が寂しくなってしまう。それは良くないと思い立って。自分にできることを考えた時、この村には食事ができる店が1.2軒しかなくて、観光地として心もとない上に、高齢化が進むと自分で食事を作るのが難しい人が多くなると考えたんです。そんな時、抜里駅が無人駅だったので、駅舎を使って何かしてみてはどうかと声をかけてもらって、休憩所をスタートしました」。

島田の食材を使った家庭料理を提供する休憩所をスタートすると、同じように何か役に立ちたいと考えた人がサポーターとして集うように。食事の配膳や畑仕事を行うなど、サヨさんの活動を支えています。
「新鮮な野菜を使ったお料理は、味付けが控えめでも十分おいしいんです。島田の食材を使った家庭料理をお出しして、全力のおもてなしをしています」。

しかし、台風15号の影響で抜里駅を走る列車は運休が続きます。
「火が消えたような寂しさを感じています。大井川鐵道は私たちにとって、夢を運ぶ存在であり、心の支えなんです。100周年に向けて1日でも早い復旧を願って、抜里駅で全力のおもてなしを続けていきたいです」とサヨさん。休憩所に来てくれる人と話すのが生きがいで、たくさんのエネルギーをもらっているというサヨさんは、今年87歳を迎えられます。サヨさんのように、大井川鐵道が走る姿やそこに集う人々とのつながりに、勇気や元気、生きる活力をもらっている人も多いのではないでしょうか。

全国の鉄道ファンや観光客、そして地元の人々に支えられ、100周年をまっすぐ見据える大井川鐵道。ここだからこそできる体験や見られる景色、感じられる空気があります。“乗ってみて!大鉄。”を合言葉に、ぜひ島田市を訪れて、生きたSLの魅力を体感して。

➡︎大井川鐵道公式HPはこちら
➡︎大井川鐵道100周年記念サイトはこちら

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