「島田大祭」の花形でもある「大奴」と「鹿島踊」を支える人々の思い。伝承と継続を目指して

「島田大祭」の花形でもある「大奴」と「鹿島踊」を支える人々の思い。伝承と継続を目指して

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1695年に始まって以来、330年にわたり伝承されてきた「島田大祭(しまだたいさい)」。3年に一度、10月中旬の3日間にわたって開催される祭りです。祭りの中で行われる「鹿島踊(かしまおどり)」や「大名行列」は静岡県指定無形民俗文化財に選ばれるなど、文化の継承という側面から高い評価を受けています。多数の見どころがある島田大祭の中でも、特に花形と言われているのが「大奴(おおやっこ)」と「鹿島踊」。それぞれの役割に長年携わってきた方にお話を伺う中で見えてきたのは、「自分たちが島田大祭を次の世代に必ず伝えていく」という強い意志でした。

島田大祭の概要についてはこちらの記事をチェック

島田大祭の花形「大奴」

両腰に着物の帯を下げ、厳かな踊りと所作から熟練の技がにじむ大奴。その務めは、島田大祭のメインイベントでもある神輿渡御(みこしとぎょ)の警護です。島田大祭が始まった当初から供奉(ぐぶ)していたと言われ、神輿に乗った神様が通るための道を、大奴が踏み固めるという大切な役割を担っています。

そんな大奴についてお話を伺ったのは、17回の大祭を経験し、そのうち12回(36年間)大奴を務めてきた綾部政美さん。その実力は「大奴といえば綾部さん」と言われるほどです。

「青年として応接長(交渉事を行う役割)を担当していましたが、“大奴が足りないから参加しないか”と師匠に誘われて、33歳で大奴に挑戦しました。祭りでは、最初の2,3回目くらいまではとにかく緊張して……大奴は大祭の花形ともいわれるポジションですし、プレッシャーも感じました」。

大奴を務める綾部さん

島田大祭は7つの街と4つの町から組織されており、各々役割を担っています。大奴を担当するのは、島田の中で第七街と呼ばれる地域に住んでいる人々。大奴は立候補制で、若者から70代目前のメンバーまで、さまざまな世代の25人が担当しています。大奴を卒業すると“師匠”となって、踊りを教えたり、大祭当日の大奴の運営などを行ったりするなど、地域の人によって代々受け継がれています。

華やかさとその裏にある努力

全ての衣装を合わせると、25㎏にもなるという大奴。2本の木太刀(きだち)を腰に差し、豪華絢爛(けんらん)な丸帯を下げて歩くため、島田大祭は別名「帯まつり」とも言われます。丸帯は最も格の高い帯であり、金やプラチナが使用されたものもあります。帯は保存会で保管されているものを使うほか、地域の方から「ぜひ大奴に使ってほしい」と託されたものを使うこともあるそう。
木太刀の先には、五穀豊穣を祈って稲穂をぶら下げたり、安産祈願のお札と一緒に子どものおもちゃとしてでんでん太鼓を下げたりと、遊び心も光ります。

大奴は、歩きながらわらじの裏側を見せなければならないなど細かな所作が決まっており、相当な体力と精神力が必要です。「若い時のほうが大変。経験を重ねると、無駄な力を抜いて踊ることができるようになります」と綾部さん。かなりの時間を練習に充てて本番に臨むと思いきや、練習期間は祭り直前のわずか10日間のみ。必ず10日間で全ての動きを完成させるそうです。

練習は実際の道路を使って行うため、交通規制などの関係で、時間は18時頃から21時頃までと限られています。夜道は暗いので、住民がちょうちんで歩道から照らしてくれるそう。「地域の人も一緒に支えてくれるのがうれしいし、ありがたいです。普段はなかなか口に出して言いづらいですけど」と思わず照れ笑い。いろいろな人が大奴の活躍を楽しみにしていることが伝わってきます。

伝統を忠実に受け継ぐことへの思い

綾部さんが大奴を担う上で大切にしているのは、「先輩から教わったことを忠実に残していく」こと。最近では振りにアレンジが加わったり、昔からの習わしが消えたりと、330年かけて培った形が薄れている部分もあるそう。「変えるべきところは時代に合わせて工夫しつつ、残せる部分はできるだけ大切に残していきたいですね。大奴の練習では若い人とペアを組むことで、自分が先輩から学んだことを伝えています」と、後継を育てることに熱い気持ちを込めています。

「人に褒められる、評価してもらうために踊るのではない。伝統を大切に守る、伝えるという意味で自分が“やり切った”と感じられるよう、思いを込めて踊っています」と綾部さん。「私からすると、青年たちはみんな自分の大切な子どものような存在だし、祭りを取り仕切り、盛り上げてくれる長たちは親父みたいな存在。島田大祭は、街が1つの大家族みたいになるんです」。

屋台の「上踊り」の様子

大祭の魅力を聞いてみると「大奴の私が言うのもなんですが」と切り出した綾部さん。「屋台の上踊りはぜひ見てほしい。かわいらしい子どもがすばらしい演目を見せてくれるし、なんといっても長唄は歌舞伎座から招いたプロ中のプロ集団。超一流の方が一堂に会するのは、島田大祭ならではですよね」。街によって役目が全く異なっても、お互いへのリスペクトが感じられました。
「昼間は暑いですから、日陰でじっくり大名行列や大奴を見ていただいて、夜は屋台の上踊りでかわいらしい子どもの素晴らしい演目を鑑賞してください」。

鹿島踊の伝承は「恩返し」

見どころ満載の島田大祭において、大奴と合わせて特に花形として知られているのが「鹿島踊」。かつて島田に疫病が蔓延した際、大井神社の境内に春日神社を祀(まつ)り、疫病退散を願って踊ったのが始まりと言われています。能や舞踊などと田楽が融合した、「三番叟(さんばそう)」「お鏡」「鼓(つつみ)」「ささら」と呼ばれる4つの踊りを、小学4年生頃から中学3年生頃までの踊り子総勢40人が同時に披露。往来を踊りながら、後ろ向きに進む所作が特徴です。

「今年は“早くコロナが収束しますように”と願いを込めて、子どもたちには丁寧に踊ってほしいですね」と語るのは、島田大祭の保存振興会で幹事であり、鹿島踊の責任者を務める池田寿正さん。中学2年生の時に「鼓」に選ばれ、島田大祭で鹿島踊に参加。「すごくうれしかったですよ。鹿島踊に誘われるのはとても名誉なことでしたから。今よりずっと子どもの数が多かったし、全員が出られるわけではなくて。一生に一度の経験ですから、鹿島踊に参加できるかどうかは、運命ともいえますね」。声がかかっても受験の時期と重なって辞退する子どももいるなど、誰もが経験できることではなかったと言えます。

「島田大祭当日は、不思議と緊張はしませんでした。それよりも、いろんな人が見ているという高揚感が強かったです。衣装合わせや準備でいろんな人がやさしく接してくれて、普段はそんな経験ができないから、それもうれしかったですね。自分にしてもらったことに感謝しているから、今子どもたちに踊りを伝承しているのは、その恩返しの気持ちもあるんです」。

受け継ぐ使命と責任

鹿島踊の魅力について聞いてみると、「衣装や笛、太鼓など、いろいろな角度から魅力が感じられると思いますよ。静かで厳かな雰囲気がある鹿島踊を一生懸命に踊る子どもたちを、しっかりと見ていただきたいです」。

鹿島踊は、島田大祭が行われる年の10月に向けて、5月頃から参加する子どもに声をかけ、9月中旬から練習がスタートします。踊りを指導するのは、鹿島踊を経験した第六街の地元の方たち。「島田大祭に関わるということは、子どもにとってかけがえのない貴重な経験になると思います」と池田さん。地域の人々の努力によって、歴史ある鹿島踊は伝承されているのです。

そんな鹿島踊において、人選や練習スケジュールの調整、運営、準備など多岐にわたる業務を行う池田さん。責任者を担うプレッシャーを日々感じていると言います。「鹿島踊を伝えていく役割には、すごく責任を感じます。祭りは3年に1回ですが、島田大祭のことを考えない日はありません。330年続く祭りですから、消滅させないために次の世代を担う小さな子どもたちを大切にしていきたいですね」。

裏方が支える島田大祭

「2022年はコロナ退散を願って、神輿渡御の他にも10月9日(日)午前10時から大井神社(春日神社)で鹿島踊を披露します。こちらもぜひ見ていただきたいです」と池田さん。地域の人々の願いを背に、大祭でのお披露目を目指して鋭意準備中です。

「島田大祭に限らずどこのお祭りも、裏方の人たちの思いが積み重なって成り立っていると感じます。“すばらしいなぁ”“来てよかったなぁ”と言ってもらえると、こちらもうれしいですね」。熱い思いを語る池田さんからは、未来の世代へ引き継ぐことへの強い責任感が、ひしひしと伝わってきました。

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