「島田大祭」の歴史やスケジュール、見どころを紹介!人々が祭りに込める思いとは

「島田大祭」の歴史やスケジュール、見どころを紹介!人々が祭りに込める思いとは

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日本全国で行われる伝統的な祭りの中で、「日本三奇祭」の一つに数えられる「島田大祭(しまだたいさい)」。静岡県島田市で3年に一度、10月中旬頃の3日間開催され、約40万人が訪れます。1695年に初めて神輿(みこし)の渡御(とぎょ)が行われて以来330年もの歴史を誇り、地域の人々によってその伝統が受け継がれてきました。2022年10月8日(土)・9日(日)・10日(月)の開催で110回目を迎える島田大祭の概要や、祭りにかける思いを伺いました。

島田大祭は神様の里帰り

島田大祭は、島田市大井町にある「大井神社」と深い関係があります。大井神社は、記録にある限り865年には存在していたと言われる歴史ある神社です。
島田市には「越すに越されぬ大井川」の唄でも知られる、大変な暴れ川である大井川が流れており、25回もの洪水や、そのたびに流行する疫病に島田の人々は苦しめられていたそう。そんな人々の心のよりどころとして、大井神社はあつい信仰を集めてきました。また、大井神社に祀られている神様は三柱とも女神様(※1)であり、安産祈願の神社としても信仰されています。

(※1)三柱の女神
水の神…彌都波能売神(みつはのめのかみ)
土の神…波邇夜須比売神(はにやすひめのかみ)
日の神…天照大神(あまてらすおおみかみ)

大井神社の神様は、大井川上流にある川根本町大沢村から島田に流れ着き、神様として祀(まつ)られるようになりました。その後、水害や町の拡大に伴って野田山や御仮屋町(おかりやちょう)に遷(うつ)られ、現在の大井神社がある大井町に祀られるに至ります。島田大祭は、幾度となくお社を遷られた神様が神輿に乗り、ふるさとである御仮屋町の「御旅処(おたびしょ)」へ3年に一度里帰りをされる祭事として生まれたのです。

大井神社内にある「大奴」(写真右)と「鹿島踊」(写真左)の像

ちなみに、島田大祭の見どころとして知られる「大奴(おおやっこ)」や「鹿島踊(かしまおどり)」、大名行列は、神様の乗った神輿が無事に御旅処へ向かわれるよう、露払いを行う役目として渡御に参列しています。次は、その役目を担う人々について見ていきましょう。

誇りを持って祭りを支えるチーム

第一街~第五街までがそれぞれ運行する屋台の様子

島田大祭を運営するのは、7つの「街(がい)」と4つの町からなる組織です。これは、島田大祭が開催される地域をチーム分けしたもの。どの街や町にも18歳頃~45歳までの青年と、46歳以上の中老が所属し、祭典本部が設けられています。青年を中心に祭りを運営し、それぞれがプライドをもって大祭に取り組みます。

街や町によって、それぞれの役割が明確に分けられているのも特徴です。第一街~第五街は屋台の運行を担当。子どもや青年、中老が地踊りをするほか、3~8歳の子どもが本格的な衣装を着て、プロの芸人による長唄や三味線、囃子方とともに踊りを披露する「上踊り」も行われます。
屋台は毎回解体され、組み立てるためのマニュアルなどはないので、祭りの時期になると口伝えで伝わってきた方法で組み立てています。

第六街は鹿島踊を担当。踊りには疫病退散の意味が込められており、かつて島田に疫病が蔓延した際、疫病退散を願って踊ったのが始まりと言われます。総勢約40人もの子どもたちが、「三番叟(さんばそう)」「お鏡」「鼓(つつみ)」「ささら」と呼ばれる4つの異なる型の踊りを同時に披露する鹿島踊は、後ろに下がりながら踊る姿が特徴で、静岡県指定無形民俗文化財にも選ばれています。

第七街は大名行列や大奴を担当し、さまざまな衣装に身を包んだ島田の人々が祭りを盛り上げます。中でも大奴は、腰に差した2本の木太刀にそれぞれ帯を下げ、粛々と振りを披露しながら少しずつ進む様子が印象的。この帯は、かつて島田に嫁いできた花嫁が、安産祈願で大井神社に帯を奉納し、その帯を掲げた大奴が大祭で町中を練り歩くことで、花嫁のあいさつ回りに代えた風習に由来します。大奴及び大名行列は静岡県指定無形民俗文化財にも選ばれ、島田大祭が「日本三大奇祭」に選ばれたり、別名「帯まつり」とも呼ばれたりする所以(ゆえん)でもあると言われています。

このほか、「新組」と呼ばれる新田町は神輿行列の世話をはじめ、祭り太鼓や幟(のぼり)立て、伶人を担当。「元宮」と呼ばれる御仮屋町(おかりやちょう)・旭町は、神様を「御旅処」に迎えるため、行列が「御旅所」に到着すると参加している人々が一服できるよう、手配を行います。
加えて旭町は「御旅所」の造営と警護を担当。ちなみに、御旅所は毎回1日で旭町の氏子が造営し、釘・金物を使わない工法で立ち上げられます。大祭最終日の翌日には解体されて元の神社地に戻り、3年後まで倉庫に納められます。
横井町は、子どもの健やかな成長を願い、御稚児が行列に加わります。

大祭の組みと主な役割

組織名町 名役 割
第一街1丁目、大井町屋台
第二街2丁目、日の出町、扇町屋台
第三街3丁目、栄町、幸町屋台
第四街4丁目、大川町、柳町屋台
第五街5丁目、新町通、大津通屋台
第六街6丁目、南町鹿島踊
第七街7丁目、高砂町、祇園町大名行列、大奴
元宮御仮屋町(旧下町)行列受け入れ
旭町旭町(旧下島)御旅所の造営と警護
新組新田町(向谷参加時代もあり)祭り太鼓、神輿供奉
横井町横井町御稚児の行列参加

見どころ満載!島田大祭のスケジュール

島田大祭は、前夜祭も含めると4日に渡る一大イベント(※2)。前夜祭では、全ての街の青年たちが大井神社に集まり、大大井神社の宮司様による「衣装揃え」と呼ばれるお祓いが行われます。街によって法被のデザインが異なり、色とりどりの法被が一度に見られる様子は圧巻です。

(※2)2022年の第110回島田大祭では前夜祭の開催はなく、全3日間。初日早朝に青年が大井神社へ集まります。

屋台が街の境界ですれ違う様子。全速力ですれ違うため迫力がある。

祭り初日と中日(2日目)は、最終日の神輿渡御に向けて、屋台や大奴、鹿島踊が島田の町を練り歩き、神様への余興を行います(※3)。島田大祭では「一町一余興」の原則が定められており、1つの街で同時に2つの余興を披露するのはご法度。そのため事前に綿密なスケジュールが組まれ、当日も滞りなく進行できるよう、各街の「伝令・応接」と呼ばれる青年が東奔西走する姿が見られます。

(※3)2022年の第110回島田大祭では、中日夕刻より、第七街御殿本陣入りと第六街鹿島踊り・新組の猿田彦様の披露が行われます。

大井神社から神輿が出発する様子。重さ400kgの神輿を16人で担ぐ。

島田の町の雰囲気も最高潮に達した最終日は、いよいよ神輿渡御が行われます。大名行列や大奴、鹿島踊、5台の屋台が、重さ400kgもの神輿を守りながら大井神社を出発し、片道約1.7キロにもわたる本通りを1日かけて往復します。往復地点には神様の里帰りの目標地点でもある仮のお社「御旅処」が設けられ、数時間にわたって神事が行われます。神事の様子を中で見ることはできませんが、神輿が御旅処に入られるところをひと目見ようと、毎回駆け付けるリピーターもいます。

島田大祭に込める思い

「島田大祭は神様の里帰りであり、神様が島田の町へお姿を現される貴重な機会でもあります。大祭の初日と中日(2日目)に町を練り歩く鹿島踊や大奴、屋台、その全てに神様が寄り添ってくださっています。普段は大井神社にいらっしゃる神様に、大祭では多くの方が町中でお会いすることができます」と語るのは、大井神社の宮司を務められている片川徹さん。

片川さん自身も、大祭を通して神様にお会いすることができたと感じた瞬間があったと言います。「私が21歳の時、第一街の青年として大祭に参加させていただいたんです。屋台から50メートルほど離れた場所で、路肩に腰を下ろして祭りを眺めていると、突然アスファルトが金銀に輝くように見えて。その瞬間、とめどなく涙があふれてきたんです。きっと、屋台に寄り添ってくださっていた神様とお会いすることができたんだと思います」。

宮司になって11年、大祭は4度経験された片川さん。「年を重ねてきたので、大祭では体力や日焼けにも注意しないといけませんね」と笑みをこぼしつつ、「神様と氏子の皆様をおつなぎするのが私の役割です。その仲介役になって差し上げられるよう、大祭に取り組んでおります」と、大祭に込める思いを語ってくださいました。「最終日の神輿渡御では、御拝殿から鳥居まで神様の御神輿がお出になるその瞬間を、ぜひ見ていただきたいです」。

「島田大祭の最大の魅力は“Back to the 江戸時代”ですね!330年続く歴史の中で、今も変わらず受け継がれてきた伝統が感じられると思います」と語るのは、第一街出身で芸人係などを担当し、現在は大祭の保存振興会で副会長を務める堀江良則さん。
「大祭にはいろんな見どころがあると思いますが、何といっても豪華なのは屋台の上踊り。東京からプロの長唄や三味線、囃子方の芸人さんをお呼びして披露しています。超一流の芸人さんが一同に会して、その演奏が歩道から聴けるなんて、こんなぜいたくな祭りはほかにはないと思います」。

今後はどんな祭りを目指していきたいと考えられているのでしょうか。「守るべきものは守り、変えるべきところは変える。そうしないと祭りを継続できない、なくなってしまうのでは、という危機感は常にあります。より良い祭りにするために、“継続できる祭りの形”を目指したいですね」。祭りにかける熱い思いと自信、それを続けていくための強い気持ちが感じられました。

第二街出身で、3歳の頃から島田大祭を見てきたという杉山髙夫さん。大祭保存振興会の現会長を務められています。「観光客の方にまた来たいと思っていただけるような祭りを目指しているので、 “また3年後も来ようね”という声が聞こえると、とてもうれしいです」と、思わず笑みがこぼれます。

祭りの見どころについて伺うと、「最終日(3日目)の本通りでの大名行列は、座ってじっくり見てほしいです。踊りはもちろん、参加している人の表情も注目していただきたいですね。島田大祭は大井神社のお祭りなので、大井神社へのお参りも忘れず行っていただけるとうれしいです」とのメッセージを頂きました。

「猿田彦(さるたびこ)」※写真左
猿田彦がまく金と銀の紙片を拾った人は、その年縁起がよいとされる

一方で、祭りについては新たな課題も感じているそう。「働き方や考え方が時代と共に変化してきましたから、島田大祭の在り方も変えていくべきだと感じています。今までは島田市でも限られた地域だけの祭りでしたが、人口の減少もあり、人が足りない状況です。どうすれば島田市民や他の地域の人にも興味を持ってもらい、島田全体のお祭りにできるのか、ということを日々考えています」。

「急に全てを変えることは難しいですが、若い青年たちの力も借りながら、一歩ずつできることを進めていきたいです」と杉山さん。330年の歴史に対する敬意と、それを継続していくための新たな挑戦の思いを胸に、110回を迎える島田大祭の成功のため、今日も舵を取ります。

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